【2025年最新】JRA(中央競馬)クラシック三冠馬(皐月賞・日本ダービー・菊花賞)の一覧 シンボリルドルフ、ディープインパクト、コントレイルなど歴代で8頭のみの大偉業

JRA(中央競馬)におけるクラシック三冠馬(皐月賞・日本ダービー・菊花賞)の一覧です。戦前の1941年、セントライトが史上初の三冠を達成して以降、日本競馬では8頭の三冠馬が誕生しています。このうち無敗で三冠を達成したのはシンボリルドルフ(1984年)、ディープインパクト(2005年)、コントレイル(2020年)の3頭です。
1. 1941年 日本競馬史上初の三冠馬
日本競馬史に燦然と輝く史上初の三冠は1941年に達成されました。栄えある初代トリプルクラウンを成し遂げたセントライトは、船橋のダートグレード競走にその名を残す大種牡馬ダイオライトを父に、セントライトの他に帝室御賞典勝ち馬タイホウ、クリヒカリ、皐月賞・菊花賞を制したトサミドリなどを産んだ名牝フリッパンシーを母に持ち、名門・小岩井農場出身と当時のスーパーエリートといっていいプロフィールの持ち主でした。横浜農林省賞典四歳呼馬(現・皐月賞)を3馬身差で快勝し、重馬場のダービーは2着馬に8馬身差という圧倒的な着差をつけて二冠、最終戦の京都農林省賞典四歳呼馬(現・菊花賞)もライバル・ミナミモアを退けて三冠を達成。そのまま競走生活を終えました。その功績をたたえ、1947年にはその名を冠した「セントライト記念」が創設されています。
2. 1964年「シンザンを超えろ」ホースマンの目標になった名馬
セントライト以降、変則三冠を達成したクリフジを含めて9頭のクラシック二冠馬が誕生したものの、三冠を達成する馬は長らく現れませんでした。20年以上の歴史の空白にピリオドが打たれたのは東京オリンピックイヤーの1964年。奇しくもセントライトと全く同じ4月2日に生を受けたシンザンは、関西の名伯楽・武田文吾師の管理のもと連勝街道に乗り、クラシック初戦の皐月賞を無傷のデビュー6連勝で制覇。ダービーへの叩きで出走したオープン競走で生涯初の敗戦を喫するも、本番では粘るウメノチカラを退けて二冠、菊花賞では夏に体調を崩したこともありウメノチカラに次ぐ2番人気に甘んじますが、レースでは2馬身半差の快勝を決めて三冠を決めました。「鉈の切れ味」と称された抜群のレースセンスと勝負根性、19回の出走で一度も連対圏を外さなかった安定感、引退レースとなった有馬記念での「超」大外強襲など、単に競走成績だけにとどまらない記念碑的シーンをいくつも生んだ名馬でした。セントライトと同様「シンザン記念」としてその名がレース名に刻まれ、日本のホースマンの中で「シンザンを超えろ」がスローガンになったように、わが国の競馬史を語るに欠かせない存在となっています。
3. 1983年「大地が弾んでミスターシービー」常識破りの三冠馬
1970年代の日本競馬を牽引した「TTG」の一角・トウショウボーイと、当時芝2000mで行われた毎日王冠でコースレコードを樹立した快速牝馬・シービークイン、同じデビュー戦を走った2頭の間に生まれたのが史上3頭目の三冠馬となるミスターシービーでした。「ゆっくり上り、ゆっくり下る」ことがセオリーとされていた京都の坂でスパート、そのまま押し切っていくフットワークを、実況アナウンサーが「大地が弾んでミスターシービー」と名文句で彩った菊花賞、胸のすくような直線一気を繰り出す追込のスタイルに表れる通り、常識を軽々と飛び越えてゆくような走りで次々とビッグタイトルを獲得。古馬になって以降はひとつ下の三冠馬・シンボリルドルフとの直接対決で3戦3敗を喫し、勝ち鞍は天皇賞(秋)のみにとどまりましたが、競馬史に残した功績は何ら色あせません。種牡馬入りして以降は目黒記念など重賞3勝馬ヤマニングローバル、トウカイテイオーの皐月賞で2着に食い込んだシャコーグレイドなどを出しています。
4. 1984年「皇帝」日本競馬史上初の無敗三冠馬
ミスターシービーから2年連続となる偉業を「史上初の無敗」で達成したのがシンボリルドルフです。神聖ローマ帝国のルドルフ1世からその名を得たことから「皇帝」と呼ばれた同馬は、名手・岡部幸雄騎手と名伯楽・野平祐二調教師という当代最高の陣営に恵まれ、持ち前のレースセンスと脚力を磨き、弥生賞でのケガや極悪馬場のダービーなど壁を乗り越えて三冠を達成しました。一分のスキも感じさせない好位差しのレーススタイルと戦績はシービーと好対照をなし、3回あった直接対決でも先輩の三冠馬に一度も先着を許しませんでした。国内最終戦となった有馬記念を楽勝し(生涯右回りでは無敗のまま)、史上初の「7冠」を達成。翌5歳シーズンに米国遠征を敢行するも、初戦のサンルイレイSで繋靭帯炎を発症して生涯最低の6着に敗れ、そのまま引退。種牡馬入り後は初年度産駒からG1・4勝馬トウカイテイオーが輩出、その他G2京都大賞典覇者、1999年の有馬記念で4着に入った最強世代の一角・ツルマルツヨシが代表産駒となっています。
5. 1994年「シャドーロールの怪物」史上最強の兄弟
シンボリルドルフから10年が経過し、元号が昭和から平成へと移り変わった1994年、とてつもないスケールの三冠馬が誕生します。1993年JRA賞年度代表馬ビワハヤヒデを兄に持つ良血で、自らの影を怖がらないように視界を遮る矯正具を着用していたことから「シャドーロールの怪物」という異名で愛されたナリタブライアンです。京都3歳Sで従来のレコードを1秒1更新するなど早くから規格外の脚力を披露していた同馬は皐月賞とダービーをあっさり突破、単勝1.0倍に支持されたトライアルの京都新聞杯はスターマンにまさかの敗戦を喫して連勝が6でストップしますが、菊花賞では2着ヤシマソブリンに7馬身差をつけて三冠を達成しました。次走の有馬記念も唯一追いすがる女傑ヒシアマゾンに3馬身差をつけてG1・5勝目をマークしますが、翌年の阪神大賞典を楽勝したのちに右股関節炎を発症。その後、マヤノトップガンとのマッチレースになった阪神大賞典、クラシック三冠馬としては異例中の異例であるスプリントG1・高松宮杯参戦(4着)など常に競馬界の中心にいるスターホースであり続けますが、3歳シーズンまでの圧倒的な走りが戻ることはついにありませんでした。
6. 2005年「日本近代競馬の結晶」史上2頭目の無敗三冠馬
ナリタブライアンが無念とともにターフを去って9年、史上2頭目の無敗三冠馬が誕生します。日本競馬を世界レベルまで押し上げたスーパーサイアー・サンデーサイレンスの最高傑作、ディープインパクトです。2歳暮れの阪神芝2000m・新馬戦を歴史的なラップで優勝し、2戦目の若駒Sでも他馬が止まって見える末脚で連勝、競馬界の顔・武豊騎手が鞍上を務めることもあり、競馬ファンの枠を超えて注目度と三冠への期待度は日に日に上昇し、皐月賞のゴール後に実況アナウンサーが「武豊、三冠馬とのめぐり逢い」と叫び、ダービー時点で東京競馬場に「ディープインパクト像」が設置されるほどでした。単勝1.0倍の支持を受けた菊花賞では完璧なペース構成で逃げる横山典弘騎手・アドマイヤジャパンを無慈悲にも見える豪脚でねじ伏せシンボリルドルフ以来21年ぶりの無敗三冠を達成。同年の有馬記念ではハーツクライ・ルメール騎手の乾坤一擲の前受けに屈して敗北を喫しますが、翌年は阪神大賞典・天皇賞(春)・宝塚記念を3連勝、日本馬最大の悲願・凱旋門賞に挑戦しました(3位入線、禁止薬物検出による失格)。帰国後はジャパンCと有馬記念を連勝してG1・7勝、シンボリルドルフに肩を並べてターフに別れを告げています。
7. 2011年 世界の頂点まであと一歩まで迫った「金細工師」
絢爛たる三冠馬の中でもひときわ強烈な個性を放っているのがオルフェーヴルです。美しい栗毛のグッドルッキングホースであり、新馬戦で鞍上の池添騎手を振り落とす暴れん坊だった同馬は、芙蓉Sから4連敗を喫するなど決して2歳時から世代で抜けた存在ではありませんでしたが、敗戦の中で陣営が施した教育がスプリングS以降結実していきます。同年のクラシックは東日本大震災の影響で中山競馬場での開催ができず、ヤエノムテキが勝った1988年以来23年ぶりに皐月賞が東京競馬場で開催され、日本ダービーも台風の影響で不良馬場の中施行と異例中の異例といえる進行ながら、経験を糧にしたオルフェーヴルはこれらのハードルを突破、菊花賞まで5連勝で三冠を達成しました(ゴール後、新馬戦と同様に池添騎手を振り落とす)。次走の有馬記念も制して連勝は6に伸びましたが、4歳初戦の阪神大賞典では向こう正面で逸走、のちにレースに復帰して2着、天皇賞(春)ではポジションが上がらず11着に大敗。訪れた2度目の試練を宝塚記念で払しょくし、凱旋門賞では残り50mまで先頭を守りました(伏兵ソレミアに交わされ2着)。その後は後輩の牝馬三冠馬ジェンティルドンナとのジャパンCでの激闘、再度の挑戦となった凱旋門賞で2度目の2着としたのち、引退レースとなった有馬記念で2着ウインバリアシオンに9馬身差をつける圧巻のパフォーマンスを披露して種牡馬入りを果たしています。
8. 2020年 ディープインパクトの最高傑作 世界でも類を見ない親子無敗三冠
現時点で最後の三冠馬がディープインパクトの最高傑作、コントレイルです。東スポ杯2歳Sで当時の芝1800m・JRA2歳レコードを1秒以上更新するタイムを叩き出し、ホープフルSをあっさり制して迎えた3歳シーズン、新型コロナウイルスの影響で無観客開催の中施行されたクラシックでは、ライバルの朝日杯FS覇者サリオスを二たび2着に退けて二冠を達成。最終戦の菊花賞ではアリストテレスにクビ差まで追い詰められながらなんとか粘り切り、父の無敗三冠達成から15年、史上初の親子での無敗三冠という金字塔を打ち立てました。次走、先輩の牝馬三冠馬アーモンドアイ、同期の無敗牝馬三冠馬デアリングタクトと相まみえる世紀の一戦・ジャパンCで2着と初めての敗戦を味わい、さらに翌年、重馬場で施行された大阪杯では3着と連を外し、十分に休養を取った天皇賞(秋)では後輩のエフフォーリアに届かず2着と3連敗を喫します。しかし引退レースとなったジャパンCでは同期のオーソリティ以下を寄せ付けず、1年1か月ぶりの凱歌をあげて三冠馬としての意地とプライドを守りました。
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芝1600m歴代好タイムベスト10 日本レコードはトロワゼトワルの1分30秒3

ダート1200m歴代好タイムベスト10 日本レコードはハコダテブショウの1分8秒4

ダート1400m歴代好タイムベスト10 日本レコードはマテラスカイの1分20秒3

ダート1600m歴代好タイムベスト10 JRAレコードはクロフネの1分33秒3