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菜七子の騎手人生は週刊誌との闘いでもありました。大切に温めていた結婚発表は先に出され、「今日は玄関前に記者がいないかな」とおびえながら自宅に戻る日々。競馬だけに集中させてあげたかったけど、こればかりは私も頭を悩ませました。
23年、複数人の騎手が調整ルームでのスマホ不正使用で処分されました。菜七子も同等の不正をしていたことが週刊誌の報道で明るみに出ます。当然、その事実は重く受け止めて反省が必要です。ただ、菜七子の場合は処分を受けて復帰した他の騎手たちとは事情が違いました。騎手を続ければ、週刊誌の追撃は止まらない。プライベートも大事な時期でした。彼女の心はすり減り切っていた。処分期間を経て再びターフに戻ってくる気力は残っていませんでした。
引退届は私の万年筆を使って書きました。私の胸で大泣きをする菜七子を抱きしめ、私も声を出して泣きました。「私の定年、菜七子は30歳まで頑張ろう」。その思いはかないませんでした。繰り返しますが、やったことは菜七子が悪い。ただ、当時は「1人の女の子にこれだけの重圧がかかっているのに、JRAにも寄り添って守る姿勢を見せてほしい」と訴えました。私も感情的になっていて「いい時だけ利用して、こういう時は突き放すのか」と気持ちを整理できませんでしたね。菜七子は“一般人”に戻り、静かに暮らす道を選びました。
別れの日は「俺たちは一生の縁だからな」と伝えました。その後も何度か会っていますが、新しい幸せをつかんで明るい様子でうれしいです。いつか(丸山)元気、(野中)悠太郎、菜七子の子供たちをみんな集めてわいわいやりたい。私にとっては“孫”ですかね?
定年間近で5人目の弟子、長浜鴻緒(こお)を引き受けます。時間がない中でできる限りのことを伝えたつもり。「騎手ははるかに負ける回数の方が多い。その時の立ち居振る舞いを周りは見ているぞ」と口酸っぱく言っています。私が引退した後も連絡をくれ、その週の騎乗の相談などをしてくれます。
長かった調教師人生も今年の3月1日に終わりを迎えました。中山、阪神で計7鞍。中山5Rサザンテイオーは最後の弟子の鴻緒に任せました。ピンクの勝負服はメリーナイスと同じ。そしてブーツは私がダービーを勝った時に実際に履いていたものを託しました。当日、初めて履いたら足のサイズはぴったり。サザンテイオーと鴻緒が感動的な最後のプレゼントをくれることになります。
◇根本 康広(ねもと・やすひろ)1956年(昭31)1月31日生まれ、東京都出身の70歳。77年3月に騎手デビュー。87年日本ダービー(メリーナイス)などG13勝を含め重賞14勝。障害戦でも活躍し、79年にはバローネターフで中山大障害を春秋連覇。JRA通算2633戦235勝。97年に騎手を引退し調教師に転身。98年に開業し通算6420戦218勝。藤田菜七子元騎手ら5人の弟子を育てる。
23年、複数人の騎手が調整ルームでのスマホ不正使用で処分されました。菜七子も同等の不正をしていたことが週刊誌の報道で明るみに出ます。当然、その事実は重く受け止めて反省が必要です。ただ、菜七子の場合は処分を受けて復帰した他の騎手たちとは事情が違いました。騎手を続ければ、週刊誌の追撃は止まらない。プライベートも大事な時期でした。彼女の心はすり減り切っていた。処分期間を経て再びターフに戻ってくる気力は残っていませんでした。
引退届は私の万年筆を使って書きました。私の胸で大泣きをする菜七子を抱きしめ、私も声を出して泣きました。「私の定年、菜七子は30歳まで頑張ろう」。その思いはかないませんでした。繰り返しますが、やったことは菜七子が悪い。ただ、当時は「1人の女の子にこれだけの重圧がかかっているのに、JRAにも寄り添って守る姿勢を見せてほしい」と訴えました。私も感情的になっていて「いい時だけ利用して、こういう時は突き放すのか」と気持ちを整理できませんでしたね。菜七子は“一般人”に戻り、静かに暮らす道を選びました。
別れの日は「俺たちは一生の縁だからな」と伝えました。その後も何度か会っていますが、新しい幸せをつかんで明るい様子でうれしいです。いつか(丸山)元気、(野中)悠太郎、菜七子の子供たちをみんな集めてわいわいやりたい。私にとっては“孫”ですかね?
定年間近で5人目の弟子、長浜鴻緒(こお)を引き受けます。時間がない中でできる限りのことを伝えたつもり。「騎手ははるかに負ける回数の方が多い。その時の立ち居振る舞いを周りは見ているぞ」と口酸っぱく言っています。私が引退した後も連絡をくれ、その週の騎乗の相談などをしてくれます。
長かった調教師人生も今年の3月1日に終わりを迎えました。中山、阪神で計7鞍。中山5Rサザンテイオーは最後の弟子の鴻緒に任せました。ピンクの勝負服はメリーナイスと同じ。そしてブーツは私がダービーを勝った時に実際に履いていたものを託しました。当日、初めて履いたら足のサイズはぴったり。サザンテイオーと鴻緒が感動的な最後のプレゼントをくれることになります。
◇根本 康広(ねもと・やすひろ)1956年(昭31)1月31日生まれ、東京都出身の70歳。77年3月に騎手デビュー。87年日本ダービー(メリーナイス)などG13勝を含め重賞14勝。障害戦でも活躍し、79年にはバローネターフで中山大障害を春秋連覇。JRA通算2633戦235勝。97年に騎手を引退し調教師に転身。98年に開業し通算6420戦218勝。藤田菜七子元騎手ら5人の弟子を育てる。
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