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慰霊の日…琉球民謡に思い出す古老の姿 識名馬場の調査尽力 知念堅亀さん6回目の命日

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那覇市の戦跡、識名馬場の調査を続けた知念堅亀さん
 日々、現場で取材を続ける記者がテーマを考え、自由に書く東西リレーコラム「書く書くしかじか」。今週は東京レース部・梅崎晴光(63)が担当。琉球競馬の舞台となった識名馬場(沖縄県那覇市)の形状調査にも尽力し、慰霊の日にあたる21年6月23日に87歳で亡くなった知念堅亀さんの思い出をつづった。

 沖縄の島々が鎮魂の祈りに包まれた23日の「慰霊の日」。インターネットラジオ(ラジコ)で沖縄の民放ラジオ番組をタップすると、あの歌が聞こえてきた。

 ♪家(やー)ん元祖(ぐゎんす)ん 親兄弟ん 艦砲射撃ぬ 的になてぃ…(家もご先祖も親兄弟も艦砲射撃の的になり…)

 家族を失った悲しみが込められた琉球民謡「艦砲ぬ喰ぇー残さー(艦砲の食い残し)」(作詞、作曲・比嘉恒敏)。その名曲に耳を傾けると、5年前の慰霊の日に亡くなった古老の姿がまぶたに浮かんでくる。琉球競馬の調査を支えてくれた恩人だった。

 知念堅亀さんに出会ったのは16年前。那覇市繁多川の識名馬場跡を訪れた時だった。琉球王家が所有していた識名馬場は沖縄県内190余の馬場の中で最も格式が高く、近世期は毎年1月下旬に年中礼式(国家行事)として競馬が開かれたが、戦後、宅地開発されて面影すら残っていない。民家が密集する馬場跡を数週間にわたって案内してくれたのが知念さん(当時77)だった。「ここには段差があるでしょう?ほら、約50センチ。宅地になってもンマウィー(馬場)とシチャンマウィー(下馬場=出走馬の待機所)との段差がこうして残っているのですよ」。知念さんが巻き尺を伸ばした民家の間には確かに段差があった。「ここにはアミシグムイ(馬の水浴び所)がありました。今はご覧の通り、ブロック塀と電柱が建っているだけですが…」。

 この地区で生まれ育った知念さんにとって識名馬場は幼少時代の遊び場。「僕が生まれた頃(1933年)には識名の競馬は途絶えていて、広場になっていました。いつもここで仲間と相撲をして、負けるたびに泣いて帰りました」。太平洋戦争が勃発した41年には国の食料増産奨励策に従って土手の松林を伐採し、芋畑に姿を変えた。そんな戦前の記憶を頼りに識名馬場の形状調査を続けてきた。「足元に埋もれている史跡を今、記録しておかなければ、やがて誰にも分からなくなる」。大切な落とし物を探すように住宅地を歩き回り、記憶に残っている段差など要所要所に目印を付けては巻き尺を伸ばす作業を繰り返した。

 09年、馬場跡に建てられた史跡(繁多川字文化財)案内板の記述は知念さんの計測に基づいた。「識名馬場(シチナウマイー)跡(あと)…王朝時代(第二尚氏)、直轄の3大馬場の1つで最大の馬場であった。全長300メートルほどで幅は約30メートル。両脇には低い土手が積まれ、樹齢350年ほどの老松が植えられていた」。

 年数回しか沖縄に行けない記者のために馬場案内ばかりか、住民の聞き取り調査も引き受けてくれた。「識名馬場で代々馬術指南をしていた真喜屋一族の方がお住まいです。用件は伝えてありますから一緒に行きませんか」。取材のお膳立てまでしてくれる親切に甘えながら、知念さんの目を直視できなかった。深淵(しんえん)な池の底を思わせる瞳。軽々に触れてはならない個人史があるような気がした。

 「知念堅亀さん、艦砲で母と姉失う 頼みの父も亡くし孤児に」。琉球新報のデジタル記事にその名を見つけたのは真喜屋一族の取材を終えて帰京した直後だった。05年7月17日付の同紙によれば、避難壕(ごう)に入れず民家に身を潜めていたところ、目の前で家族が艦砲射撃に倒れ、自身も重傷を負った。米軍収容所では生きる気力を失い、栄養失調で死線をさまよった。そして、孤児院で終戦。「あの悲惨な沖縄戦の体験者ならば好んでその体験は語ろうとしない。私もその一人だった」(同)。

 晩年の知念さんは識名馬場とともに地元の戦跡調査に心血を注いだ。その一つが沖縄戦当時の島田叡知事らが一時避難した県庁壕。島田知事の戦時行動を解き明かしたノンフィクション「沖縄の島守 内務官僚かく戦えり」の後書きで著者・田村洋三氏は「知念さんがいなければこの本は書けなかった」と記している。拙著「消えた琉球競馬」も知念さんの助力なしでは書けなかったと思う。慰霊の日、ラジオから流れる「艦砲ぬ喰ぇー残さー」を聴きながら知念さんの6回目の命日を迎えた。

 知念 堅亀(ちねん・けんき)1933年(昭8)沖縄県那覇市生まれ。12歳の時に沖縄戦で家族を失い、孤児院で終戦を迎えた。戦後は軍作業、NHKの集金業務に従事。退職後の95年から識名馬場とともに地元・那覇市繁多川の戦跡調査を続け、幻の壕とも呼ばれた沖縄県庁・警察部壕の場所を特定した。21年6月23日、87歳で死去。25年には段ボール30箱にも及ぶ収集資料をまとめた「知念堅亀文庫」が繁多川公民館に開設された。

 ◇梅崎 晴光(うめざき・はるみつ)1962年(昭37)10月4日生まれ、東京・高円寺出身の63歳。東京レース部専門委員。22年の定年後も競馬担当として記者活動を続けている。25年にはJRA賞馬事文化賞&沖縄タイムス出版文化賞を受賞したノンフィクション「消えた琉球競馬」の増補改訂版を著した。 
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