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根本康広師 騎手でビッグレース制覇 調教師で多くの弟子育成 でも始まりは競馬好きの父親が無断で…

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騎手としてビッグレースを制し、調教師として多くの弟子を育成した根本師 
 今年は東西トレセンで7人の調教師が70歳定年制により、3月3日をもって引退する。ホースマン人生を振り返る連載「さらば伯楽」が今週から水曜付でスタート。第1回は美浦所属の根本康広師(69)に迫った。騎手としてはダービー、中山大障害などビッグレースを制覇。調教師としても藤田菜七子元騎手ら多くの弟子を育成した。約半世紀に及ぶホースマン人生を振り返ってもらった。

 栄光のダービージョッキーに輝いた根本師だが出自は競馬サークルと無縁。騎手候補生の募集には古本屋を営む競馬好きの父が無断で応募したという。当然、乗馬実習では同期に後れを取り、卒業試験は3回も落第。師は「1年間に50回近くも落馬した。何度も辞めようと。夜は府中農業高校の定時制に通っていました。もう亡くなった妻と、そこで出会って付き合っていましたが“こいつのためにしっかりしないと”の思いで踏ん張れた」と振り返る。

 騎手としての礎を築いてくれたのは故・橋本輝雄調教師。元ダービー騎手の師匠は寡黙で多くは語らないタイプだったが、少ないアドバイスで上達のために必要なことを思考させられた。「ある調教の後、師匠が“根本、おまえ何歳になった?”って聞くんです。その真意は“若い3歳馬なんかに持って行かれちゃ駄目だ”ということ」。自分で成長の道を考え、探り、騎手としての技量は少しずつ上達した。候補生時代に最も苦手としていた障害でも頭角を現し、中山大障害を3回(79年春秋バローネターフ、81年春ナカミショウグン)制覇。85年天皇賞・秋では13番人気ギャロップダイナで“皇帝”シンボリルドルフを撃破する大金星を挙げた。そして自信が芽生え始めた86年。自厩舎で栗毛の駿馬と出合った。

 メリーナイス。函館5Fの新馬戦を勝った可愛らしい相棒は短距離向きという見方もあったが、ふたを開ければダービーをグレード制導入以降最大着差(6馬身差)で圧勝することになる。根本師は「24頭で走るのでゲート入りに5分間もかかる時代。とにかくスタート前を大事にした。最初のコーナーを10番手以内で回り、最も大切なのは直線で追い出しをワンテンポ待つこと。全てがうまくいきました」。“落第生”を厳しく、温かく育ててくれた師匠にダービートレーナーの勲章をプレゼントした。

 調教師となってからは実に6人の弟子を取った。昔より調教師による鞍上決定の権限が弱まったことで、新人騎手の引き取りに二の足を踏む厩舎は多いが、師には関係なかった。「基本的にうちの騎手を乗せてもらえる馬しか預からないようにしていました。師匠が自分にしてくれたように、ダービー馬を用意してあげられなかったのは申し訳なかった。それでも、少しでも一人前の騎手になってほしかった」。まな弟子のレースは他厩舎の馬でも熱心にチェック。2年目に92勝を挙げた丸山元気、当時の女性騎手通算最多勝利数を更新した藤田菜七子ら個性派たちを育て上げた。

 騎手時代には「さんまのナンでもダービー」にも出演し、「美浦のひょうきん族」と呼ばれたこともある明るい性格の話し上手。既に人材育成関連など講演会のオファーが絶えず届いている。「昔のやり方のままではうまくいかないが、自分で考えるような教え方が大切だと思う。そして、その子に合った接し方も考えなくちゃいけない。生まれ変わってもう一度騎手はやりたくないけど、競馬学校の教官は向いているかも(笑い)」。トレーナーとして重賞を勝つことはできなかった。それでも自身を一人前の騎手に育ててくれた全ての恩に報いようとする調教師生活だった。“人を育てた調教師”は確かなレガシーを残し、ターフを去る。

 ◇根本 康広(ねもと・やすひろ)1956年(昭31)1月31日生まれ、東京都出身の69歳。77年3月に騎手デビュー。85年天皇賞・秋(ギャロップダイナ)、87年ダービー(メリーナイス)など重賞14勝。障害戦でも活躍し、79年にはバローネターフで中山大障害を春秋連覇。JRA通算2633戦235勝を挙げた。97年に騎手を引退し調教師に転身。98年に開業し通算6389戦217勝(27日現在)。藤田菜七子元騎手ら6人の弟子を育てる。
(C)スポーツニッポン