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ダイワメジャー追悼 2018年アーカイブス復刻版 デビュー戦のパドックから“規格外”

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07年マイルCSで連覇を飾ったダイワメジャーと鞍上・安藤勝己
 現役時代に皐月賞、天皇賞・秋などG15勝、種牡馬としても数多くの名馬を輩出したダイワメジャー(牡、父サンデーサイレンス)が1月20日早朝、けい養先の社台スタリオンステーション(北海道安平町)で息を引き取りました。25歳。

 ダイワメジャーの功績を称え、万哲こと小田哲也記者が記した2018年秋に記したダイワメジャー特集「復刻版スポニチアーカイブス」を再掲載します。ノドの疾患を手術で克服し、G1タイトルを積み上げた現役時代の雄姿をぜひ刻んでください。

 気は優しく力持ち。でも心はちょっぴり繊細。「ドラえもん」のジャイアンのようなキャラクターを地で行くダイワメジャーは01年4月8日、北海道千歳市の社台ファームで生を受けた時から大きな期待を集めていた。3歳上の全姉ダイワルージュ(父サンデーサイレンス)は新馬、新潟3歳Sを無傷2連勝。阪神3歳牝馬S(現阪神ジュベナイルフィリーズ)で2着。翌春の桜花賞も3着に頑張り、G1戦線でも活躍した。姉も管理した上原博之師はメジャーの当歳時、社台ファームで初めて見た時の記憶を鮮明に覚えている。

 「当歳にしては立派な体をしていて、筋骨隆々。バランスも良くて、見るからにパワーを感じさせた。お姉さんのダイワルージュの縁もあって(ルージュも所有した)大城敬三オーナーにも凄くいい馬です…とご報告したことを覚えています」

 スクスクと成長し、育成時代の動きも目立っていた。本来なら2歳夏〜秋のデビューを目指せたという。しかし、あり余るたぐいまれなパワーが、時に規律を求められる競走馬には障害にもなった。

 「2歳の夏前には美浦に入厩させようと思って、実は山元トレセン(宮城県)まで来ていたんです。ただあまりにパワーがありすぎて、危険を及ぼしかねない状態。万が一、人間にケガがあっては…ということで一度北海道に戻しました」

 生まれ故郷の社台ファームに戻り、美浦に初めて入厩したのは03年9月24日。暑かった夏も終わり、季節はすっかり秋だった。時間をかけて美浦で乗り込み、デビューはシンボリクリスエスが9馬身差圧勝を飾った同年12月23日の有馬記念当日だった。大物感漂うパワフルな調教の動きに加え、血統背景も考慮され、1番人気。546キロと古馬並みの雄大な馬格を誇っていたが、そのパドックでファンはまさかの姿に遭遇してしまう…。

 「馬体はいいし、調教でも動いていたから。かなり自信はあったんだけど。ご存じの通り、競馬場に行ったら馬が神経質になってしまって。装鞍所で大暴れして、2人引きで引っ張っても立ち上がったり、すねたり。JRAからは“危険なので、次回からは制限を設けるかもしれない”と言われた」

 大勢のファンが待ち受けるパドックに何とか移動したが、当のメジャーはソワソワ、落ち着かない。そしてゴロ〜ン。

 「神経が参って、おなかが急に痛くなって。腰もフラフラになり、寝るような形になって…。油断するとゴロンと寝ちゃいそうなのでずっと人間が付きっきりで、レース前は返し馬もできず、ゲートまで引っ張って行った。スターターには“ここまで来たのだから、競走除外にせず、何とか出走させてください”とお願いしたんです」

 発走前こそ暴れん坊ぶりを発揮したメジャーだったが、いざ競馬が始まると、潜在能力の一端を示した。

 「スタートは出遅れてしまったけど、パ〜ッと回ってきただけで2着に届いてしまった。あらためて能力を再確認した」。勝ったモンスターロードとはわずか首差。G1・5勝の輝かしい競走生活の序章だった。同年の紅白歌合戦ではSMAPが初めて大トリを務め、大ヒット曲「世界に一つだけの花」を熱唱した。
(C)スポーツニッポン