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【有馬記念】「矢作さん」の一言で思い出した“あの頃の空気”

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 10月、京王閣競輪場の、ゴール前の人混みを歩いてたら矢作先生が横を歩いていた。あの帽子を(競馬場で見るよりつばの大きさがやや小さめのを)かぶってニコニコしながら歩いている。ああそうか、前日に船橋の日本テレビ盃でフォーエバーヤングを勝たせていたから、翌日いい気分で競輪か。

 ナマ矢作先生なんて、もう20年ぶりぐらいではなかろうか。「やはぎせんせい」と思わずつぶやいたら先生はこっちを見て「あっ」という顔になった。覚えててくれたのか私なんかの顔を。

 あたりの競輪客も矢作先生に気づき、取り囲んでツーショット撮影とか始まった。私が矢作先生とよく顔を合わせてたのは、まだ先生が調教助手時代だったが、今やJRAを代表する調教師だ。私なんかが声をかけていいようなお方ではなくなってしまった。

 撮影会が終わって、矢作先生は売り場で新聞を見ながらマークカードを塗り始めた。ほんとに競輪好きなんだよなあ、仕事では成功して競輪で楽しんで、人生の勝者だなあ、そんなことを考えながら先生の横顔を眺めていたら、ふっとこっちを向いて「今どこに住んでんの?」「徳島です」「徳島ぁ〜!?誰の応援に来てんのよ」「松浦です」なんてことをしゃべっているうちに、矢作先生はふと泣き笑いみたいな顔になって、

「小林さんも乗さんも、みんないっちゃった」

 ぽつんとそう言った。

 小林常浩、乗峯栄一、矢作芳人……関西スポニチ競馬面を一時期つくりあげてた人たちだ(私もその末席で小さくなっていた)。その頃、「関西スポニチ競馬面が日本一面白い」と信じていた。いや今がどうだっていうんじゃなく、あの時はもう二度と帰ってこないということだ。そんな、あの頃の空気を、矢作さん(当時はそう呼んでた)の一言でぶわっと思い出してしまった。

 人も死ぬ。馬も死ぬ。けれど競馬は続く。いずれ私も小林さんや乗さんのところに合流して、矢作さんの馬の馬券でも買おうか。今のところまだ生きているので、今年の有馬でシンエンペラーの単勝を一枚買っておこう。(青木るえか)
(C)スポーツニッポン