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【追憶のジャパンC】03年タップダンスシチー 佐藤哲三騎手、人生の夢をかなえた大逃走

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03年ジャパンC。圧巻の逃げ切りを決めたタップダンスシチーをねぎらう佐藤哲三騎手
 ジャパンCにおいて、優勝馬が2着馬につけた最大着差は03年タップダンスシチーが2着ザッツザプレンティにつけた「9馬身」である。

 馬場は重。タップダンスシチーは逃げ・先行タイプ。展開次第では大きな着差となる可能性を秘めた条件ではあったが、それを差し引いても、やはり当時のタップダンスシチーのツボにハマった時の強さは、なかなかのものがあった。

 実は、それまで重馬場では4、5着に終わっていたタップダンスシチー。だが、佐藤哲三騎手(引退)は重が苦手とは全く思っていなかった。「折り合いさえつけば問題ない」。自信を胸に1枠1番から素晴らしいスタートを切った。

 あっという間に3馬身ほどリード。「あの馬を気分良く行かせるとまずい」。過去に1度だけ同馬への騎乗経験がある安藤勝己騎手(引退)がザッツザプレンティを押し上げ、差を詰めにかかる。だが、佐藤哲騎手に迷いはない。1、2コーナー中間からグッとペースを上げ、後続を振り切った。

 やや勢いがついたタップダンスシチー。向正面で後続に10馬身の差がついた。「勢いがつきすぎてペースを落とせないのか」「これは速すぎる」。スタンドの観衆にはそう見えたようだが、全ては佐藤哲騎手の計算の範囲内だった。

 「2コーナーで、ずいぶん後続と離れていた。でも、不安はなかった。タップのペースで走っている。これならいけると思った」

 ターフビジョンが後続との差を映し出すたびに、スタンドはどよめいた。「そのまま!」という声も上がり始めた4コーナー。2番手との差はまだ6馬身ほど。この時点で佐藤哲騎手は勝利を確信したという。「スタートと4つのコーナー。ポイントとなる5カ所を全て馬が上手にクリアした。100点満点だった」

 直線を向いてもタップダンスシチーの勢いは衰えない。後続も差を詰めてこない。1番人気シンボリクリスエスは馬群でモマれていた。佐藤哲騎手は全く汚れていない勝負服のまま、9馬身差をつけ、タップダンスシチーとともにゴールへと飛び込んだ。

 「この勝利は格別の味がする。夢がかなった気持ちだ」。タップダンスシチーからさかのぼること19年。佐藤少年は84年ジャパンC、カツラギエースの逃げ切りに興奮した。日本の馬でも勝てる。いつかジャパンCに乗りたい、勝ちたい、逃げ切りたい。ついに夢が現実となった。

 佐々木晶三師も笑顔が止まらない。「出走するだけでも夢のようなのに。これで調教師をやめてもいいくらいだ」

 まだ騎手だった頃、第1回ジャパンCを見て衝撃を受けた。牝馬メアジードーツのすさまじい決め手。「こんなレースをいつか勝ってみたい」。それ以来、ジャパンC制覇がホースマンとしての目標となった。

 この最大着差が決して馬場のおかげによるフロックでなかったことは、その後のタップダンスシチーの戦績が証明する。

 翌04年は金鯱賞、宝塚記念を連勝。特に宝塚記念は大外8枠15番という厳しい枠。しかも、さほどラップが落ちない流れの中で道中、3番手追走からハナを取りに行くという過酷な展開。それでも2着シルクフェイマスに2馬身差をつけた。

 タップダンスシチー。やはり過去最大着差でジャパンCを逃げ切りだけのことはあったのである。
(C)スポーツニッポン