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今年で104回目を迎えるフランスG1「凱旋門賞」(パリロンシャン、芝2400メートル)は5日にゲートイン。この伝統の一戦に今年はクロワデュノール、ビザンチンドリーム、アロヒアリイの日本調教馬3頭が挑戦する。3頭全てを生産したノーザンファームの副代表であり、クロワデュノールを所有するサンデーレーシングの代表を務める吉田俊介氏(51)にそれぞれの感触、そして日本競馬界の悲願達成への思いを聞いた。
――クロワデュノールの前走プランスドランジュ賞(1着)の振り返り、中間の過程を教えてください。
「現地に着いてから16日間くらいでの競馬でした。輸送はうまくいきましたが、まだピリッとしないということで、調教師さん(斉藤崇史師)も北村(友一)騎手も、凄い自信を持って臨めるという感じでもなかったようです。直前の雨で日本と比較すると凄く重たく、レースが始まってからは芝が飛ぶような馬場でした。ペースも日本では絶対にありえないようなスローから上がり3Fの凄く速い競馬になって、そんな中でも勝ち切ってくれたのは良かったです。あくまでターゲットは凱旋門賞なので、このレースを勝って一番いい状態になってくれたらいいなというところでした」
――ダービー前のインタビューで、ダービーを勝てたら凱旋門賞もという話をしていましたが?
「最初は登録の話はしていなかったんですけど、皐月賞を負けた直後、なんならミュージアムマイルの表彰式が終わって戻ってきたところで呼び止められまして、斉藤調教師に。“負けたので(凱旋門賞に)登録していいですか?”と言われて。“いいよ。(ダービーを)勝たないと行かないけどね”と言っていたのが現実となりました」
――ダービー馬で凱旋門賞に出走する心境は?
「ドウデュースの時もそうでしたが、おそらく皐月賞、ダービーと勝っていたら行かないと思う。まあ3歳の方が斤量もいいですし、いい部分もあるかなと考えています。古馬になってからの方が輸送などの対応力はあるかもしれませんが、今のところは(環境の変化も)うまくこなしてくれています」
――前哨戦のレースを選択した理由は?
「斉藤調教師の強い希望です。間隔的には中3週以上の方がいいかもしれませんがロンシャンの2400メートルを短い間に2回走るよりは2000メートル。ゆったり流れて、しまい勝負になるようなレースの方が中2週を差し引いても前哨戦としてこの馬にはいいかなという狙いでした」
――ダービーを勝っているが、現地の2400は初めて。
「何回も何回も挑戦して負け続けているのですが、思うように力を発揮させてもらえない舞台ではあるなと思います。やっぱり頭数も多くなりますし。あと天気もね。前回で重馬場を経験しているとはいえ、直前で想像を絶するような雨が降ったりするので」
――ほぼ毎年のように挑戦する意味は?
「挑戦しているうちに天気のいい時もあるかなと(笑い)。ちょっとやそっとじゃ、へこたれなくなってきました」
――凱旋門賞に抱くイメージに変化は?
「今でこそドバイなど世界の舞台で日本馬が活躍しますけど、昔は経験値を積んでいかないといけないのかなと思っていたところ、ディープインパクトとオルフェーヴルが勝ちそうになったので、あそこで“あ、勝たないといけないレースかな”と変わりました」
――会場の雰囲気は他のレースとは違う?
「それほどじゃないと思っていた馬が1段階、2段階も上がって(凱旋門賞に)出てきたりします。やっぱりこれが一番の目標なんだなっていうのが伝わる。だから僕らも勝ちたいってことですよね。なんて言ったら僕のおじいちゃん(故吉田善哉氏)とかも勝ちたかったレースですよね。(シンボリ牧場の)和田共弘さん(故人)とかもね」
――サウジCやドバイで勝ち、賞金、レーティングで世界一になったことがある中でも凱旋門賞は違う?
「昔から勝ちたいレースだからですかね。僕らなんかはやっぱりダビスタの影響も大きいです(笑い)。多分その頃、90年代の日本のホースマンは強い馬がいたら、そういう雰囲気だったと思います。シリウスシンボリ(86年)が行ったぐらいですから。スピードシンボリ(69年)も行ってるのかな。もうそういうレースなんだろうなっていう。80年代も90年代も、やっぱり凱旋門賞でした。なんならドバイワールドCは(当時)なかったし、70年代にブリーダーズCはなかった。その頃から凱旋門賞はありますからね」
◇吉田 俊介(よしだ・しゅんすけ)1974年(昭49)4月13日生まれ、北海道出身の51歳。慶大卒。98年ノーザンファーム入社。同ファーム空港牧場場長を経て、現在は同ファーム副代表。サンデーレーシングの代表取締役も兼務する。父はノーザンファーム代表の吉田勝己氏。趣味は乗馬。
――クロワデュノールの前走プランスドランジュ賞(1着)の振り返り、中間の過程を教えてください。
「現地に着いてから16日間くらいでの競馬でした。輸送はうまくいきましたが、まだピリッとしないということで、調教師さん(斉藤崇史師)も北村(友一)騎手も、凄い自信を持って臨めるという感じでもなかったようです。直前の雨で日本と比較すると凄く重たく、レースが始まってからは芝が飛ぶような馬場でした。ペースも日本では絶対にありえないようなスローから上がり3Fの凄く速い競馬になって、そんな中でも勝ち切ってくれたのは良かったです。あくまでターゲットは凱旋門賞なので、このレースを勝って一番いい状態になってくれたらいいなというところでした」
――ダービー前のインタビューで、ダービーを勝てたら凱旋門賞もという話をしていましたが?
「最初は登録の話はしていなかったんですけど、皐月賞を負けた直後、なんならミュージアムマイルの表彰式が終わって戻ってきたところで呼び止められまして、斉藤調教師に。“負けたので(凱旋門賞に)登録していいですか?”と言われて。“いいよ。(ダービーを)勝たないと行かないけどね”と言っていたのが現実となりました」
――ダービー馬で凱旋門賞に出走する心境は?
「ドウデュースの時もそうでしたが、おそらく皐月賞、ダービーと勝っていたら行かないと思う。まあ3歳の方が斤量もいいですし、いい部分もあるかなと考えています。古馬になってからの方が輸送などの対応力はあるかもしれませんが、今のところは(環境の変化も)うまくこなしてくれています」
――前哨戦のレースを選択した理由は?
「斉藤調教師の強い希望です。間隔的には中3週以上の方がいいかもしれませんがロンシャンの2400メートルを短い間に2回走るよりは2000メートル。ゆったり流れて、しまい勝負になるようなレースの方が中2週を差し引いても前哨戦としてこの馬にはいいかなという狙いでした」
――ダービーを勝っているが、現地の2400は初めて。
「何回も何回も挑戦して負け続けているのですが、思うように力を発揮させてもらえない舞台ではあるなと思います。やっぱり頭数も多くなりますし。あと天気もね。前回で重馬場を経験しているとはいえ、直前で想像を絶するような雨が降ったりするので」
――ほぼ毎年のように挑戦する意味は?
「挑戦しているうちに天気のいい時もあるかなと(笑い)。ちょっとやそっとじゃ、へこたれなくなってきました」
――凱旋門賞に抱くイメージに変化は?
「今でこそドバイなど世界の舞台で日本馬が活躍しますけど、昔は経験値を積んでいかないといけないのかなと思っていたところ、ディープインパクトとオルフェーヴルが勝ちそうになったので、あそこで“あ、勝たないといけないレースかな”と変わりました」
――会場の雰囲気は他のレースとは違う?
「それほどじゃないと思っていた馬が1段階、2段階も上がって(凱旋門賞に)出てきたりします。やっぱりこれが一番の目標なんだなっていうのが伝わる。だから僕らも勝ちたいってことですよね。なんて言ったら僕のおじいちゃん(故吉田善哉氏)とかも勝ちたかったレースですよね。(シンボリ牧場の)和田共弘さん(故人)とかもね」
――サウジCやドバイで勝ち、賞金、レーティングで世界一になったことがある中でも凱旋門賞は違う?
「昔から勝ちたいレースだからですかね。僕らなんかはやっぱりダビスタの影響も大きいです(笑い)。多分その頃、90年代の日本のホースマンは強い馬がいたら、そういう雰囲気だったと思います。シリウスシンボリ(86年)が行ったぐらいですから。スピードシンボリ(69年)も行ってるのかな。もうそういうレースなんだろうなっていう。80年代も90年代も、やっぱり凱旋門賞でした。なんならドバイワールドCは(当時)なかったし、70年代にブリーダーズCはなかった。その頃から凱旋門賞はありますからね」
◇吉田 俊介(よしだ・しゅんすけ)1974年(昭49)4月13日生まれ、北海道出身の51歳。慶大卒。98年ノーザンファーム入社。同ファーム空港牧場場長を経て、現在は同ファーム副代表。サンデーレーシングの代表取締役も兼務する。父はノーザンファーム代表の吉田勝己氏。趣味は乗馬。
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