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【追憶の小倉記念】10年ニホンピロレガーロ 酒井学を年間0勝から救った勝負服 接戦制し「やったー!」

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10年小倉記念を制したニホンピロレガーロと酒井学
 ニホンピロレガーロとバトルバニヤンが全く並んでゴールに飛び込んだ。長い写真判定。ニホンピロレガーロが勝ったことを示す「18」が検量室のホワイトボードに書き込まれると、酒井学の「やったー!」という声が響いた。

 「周りからは“勝っている”と言われたが確信はなかった。負けたとは思わなかったが、勝っているとも思えなかった」。口取り式では馬上でガッツポーズ。ようやく勝利の実感が湧いてきた。

 鮮やかな騎乗ぶりだった。10年小倉記念は晴れ、良馬場。9番人気のニホンピロレガーロは大外18番からのスタートだったが、位置を取りに行った。道中は7番手付近で息を潜める。4コーナー手前で動き出した。ラップは12秒を切り、厳しいポイントだが、ここで動かなければ勝機はない。

 「頑張れと思いながら乗っていました。外からかぶせられても馬は反応してくれました」。4角を3番手で回る。残り200メートルで先頭に立つが、外からバトルバニヤンも来た。2頭の追い比べ。外の方が有利な局面だが、ニホンピロレガーロがたぐいまれな勝負根性を発揮して鼻差、踏ん張り抜いた。

 「500万の時から、いろいろ経験して一緒に歩んできましたからね。重賞を勝ててうれしいですよ」。数えれば、これが20回目の連続騎乗。この馬のことは全て知っている、と言いたげな表情の酒井だった。

 45歳の今も中堅として輝きを放つ酒井に引退のピンチがあったことを知るファンはもう少ないかもしれない。

 デビューした98年は25勝を挙げたが、00年は14勝にとどまり、01年は半減して7勝。03年からは3年間、3勝止まり。06年は12月まで勝てず、残り2週を迎えても0勝。初めての年間0勝がチラついた。

 そこを救ってくれたのが服部厩舎の“ニホンピロ”だった。06年12月16日の阪神1R。6番人気のニホンピロコナユキで白星を拾う。すると、眠っていた歯車が急に動き出した。

 翌07年はニホンピロシェリーで3勝。調教でまたがり続けた服部、西園正都厩舎の馬たちが酒井を背に次々と穴を開けた。終わってみれば07年は8勝。酒井は何とか息を吹き返した。

 08年は11勝を挙げ、09年には12勝。そして8年ぶりとなる重賞(北九州記念=サンダルフォン)も手にした。そして、この小倉記念制覇。酒井が完全に復活したと周囲に印象づけた。

 酒井に初G1をプレゼントしたのも、やはりニホンピロ(12年ジャパンCダート=ニホンピロアワーズ)。14年には菊花賞(トーホウジャッカル)も手にした。

 今年もチューリップ賞(クリノメイ)を勝つなど、まだまだ元気な酒井。もうひと花、咲かせてもらいたい。
(C)スポーツニッポン