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体質の弱さ乗り越えて…ルミナスウォリアー 函館で重賞初Vへ

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17年、函館記念を制したルミナスウォリアーと町田助手(右)と柴山
 【競馬人生劇場・平松さとし】今週末、函館競馬場では函館記念が行われる。このハンデG3を2017年に制したのがルミナスウォリアー(当時、和田正一郎厩舎所属)だ。この年、6歳だった同馬は1月のG2・AJC杯で4着。続く3月のG2・金鯱賞では勝ち馬から約1馬身半差の5着に善戦。そうして迎えた函館記念を見事に制してみせた。

 このように重賞戦線で続けて好走していたわけだが、2歳でデビューした13年は新馬戦を勝てず(4着)、続く未勝利戦は右肩ハ行で競走除外。3歳になってからもさらに3戦を要し、デビュー戦から約7カ月を経て、3歳5月にようやく1勝目を挙げたのだ。

 「とにかく体質が弱く、2戦目で除外になった時は歩様が乱れてしまいました」。そう語っていたのが、持ち乗りで担当していた町田拓也調教助手。そんな体質だったから、じっくりと使われていた。先述の除外されたレースも含め、5戦目での初勝利だったが、それに約7カ月をかけていたことからも、いかに大事に使われていたかが分かる。「和田(正)調教師もオーナーも焦らず我慢してくれたのが、後の大成につながったと思います」。町田助手はそう続けた。

 4歳になった15年ごろからはようやくコンスタントに使えるようになり、少しずつ力をつけて着実に勝ち上がった。こうして迎えた6歳時には、先述の通り重賞戦線でも安定した成績を残せるまでになったのだ。

 しかし、この話には続きがあった。函館記念を前に現地入りしたルミナスウォリアーだったが、皮膚病を発症していたのだ。町田助手は言っていた。「おそらく環境の変化でストレスを感じたせいかと思います」。それでも初の重賞勝ちができた要因は2つあった。一つは当時、手綱を取っていた柴山雄一騎手(現調教助手)が語っていたように「雨が降って道悪になった」こと。そしてもう一つが、町田助手の献身的なケアだったことは間違いないだろう。

 さて、今年はどんな人たちが、どういう結果を残すのか。週末の函館競馬を楽しみに待ちたい。 (フリーライター)
(C)スポーツニッポン